「益子焼」、陶祖は大塚啓三郎、江戸後期に益子に窯を開きました。
そして、日常に使われる平凡な地方焼に過ぎなかった益子焼に、新たな魂を吹き込んだのが、大正末、益子に移住してきたイギリス帰りの濱田庄司でした。

濱田は、益子の窯と釉薬について研究を続け、その作陶に海外の多彩な技術を織り込み、世界に名を成す陶芸家となりました。やがて、濱田を慕う陶芸家志望者たちが、その伝統を引き継ぐことになります。

冒頭の写真は、濱田庄司に15歳から師事し20年間薫陶を受け、さらに築窯して独立30余年の、明石庄作氏の作品です。
陶技を正統に継承しつつ、独自の陶芸を磨いてきました。塩釉に着目し、さらに重焼など新たな技法に挑戦しています。

作陶50年を迎えた2011年は、東日本大震災で登窯が全壊、製作中の600点が失われましたが、登窯を再興、創作意欲は翳ることなく、不屈の陶芸魂を具現されました。

          登り窯

 

Q; 明石さん、陶芸家は気に入らない作品は、苛立って叩きつけ壊すのですか?
A; 長谷川さん、そうじゃなくて、本当に良い作品を選んで、
  心を込めて世に届けるのです。

創薬も、トランスレーショナル・リサーチも一緒です。